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てがみ座『青のはて』、稽古真っ最中! [てがみ座「青のはて」]

こんばんは。ふわぁぁぁ、全然更新できなくてゴメンナサイ。
寝てないっていうか、なんていうか。

サハリン紀行も途中になってしまってごめんね。
これも、書くよ、ちゃんと。ええと、年明けになるかもしれないけれど!
これは、これから行く人が検索して読むかもしれないから、ちゃんとバトン渡さないと!なつもりで書きますが
待ちきれない方は、舞台にまずはお越しくださいですよ!(とかいってね。)

しかも今夜もブログを書いていちゃいけないのですよ。
今踏ん張って、とにかく一歩でも二歩でも進めなくては……、
さすがに10月がもう終わろうとしていることは、分かっています……

今夜どうにか進めようとしているのは
いずみたくさんが設立されたミュージカル劇団フォーリーズhttp://www.allstaff.co.jp/にて上演される舞台です。
ミュージカル「by the sea-波のかなたへウラの歌-」という作品です!
2013年1月上演!……時間がないね。本当にね。てがみ座の福田温子と箱田暁史も出演します。
心を込めて書きます!

と言って、めちゃくちゃ焦っています。が、
焦ってはいても、心が決まったような思いもしています。

なんというか、自分がどういうものを書いていきたいのか、ということが。

今年は『落下する鳥』『くれない坂の猫』『青のはて』……と
絶えず新作に向き合い続けてきたからかもしれない。
一作ごとに考えることや選択の幅も増えるから思い悩んでしまうけど
辿り着きたいところはより明確になってきた気がする。
いま、『青のはて』を稽古場に手渡して、そう強く感じています。

10月の中旬に第7回公演「青のはて-銀河鉄道前奏曲〈プレリュード〉-」第一稿が上がって、
下旬までに何稿か改訂を重ねて。
昨日から固定稽古場に場所を移して、いよいよ小屋入りまで28日となりました!

毎日毎日、その稽古に立ち会いながら、わくわくどきどきしています……
はっきりと、これまでとは違うハードルに挑戦しながら、
挑戦することの怖さ、と同時に、挑戦しただけより遠くの景色が見えるかもしれない、
その景色と出会ってみたい、もしかしたら何かに手が届くかもしれない、そういう期待と懼れ。
何か、ってなんだか分からない。具体的には言えないものなのかもしれない。
どうにか言葉にしようとしてみると、
つまり、何を考えて創造に携わるのか、
何を目指していきたいのか、そういうことなのかもしれない。

挑戦となる地平に踏み出すのが、一人だと恐ろしい。
けれど、これ以上ないほどに信頼できる座組に恵まれているから、
恐れが期待に変わってる。

てがみ座のみんな。
演出の扇田拓也さん。
稽古場につきっきりでスケジュールキーパーをしてくれている石村みかさん。
アシスタントの宮田智子さん。
方言指導でついてくれているチャリカルキの菅野さおりさん。関雅予さん。
そして、そして……出演者のみなさん。

なんだか、今回の舞台はいつも以上にたくさんの人に関わってもらって創ることに向かっています。
出演者おひとりおひとりを紹介していきたいな。
でも私、また皆さんの写真を撮っていないんだよね。
紹介していきたいなぁ。なんだか本当に引力の強いひとたちばかりなのです。

私たちの賢治は、有山尚宏(たかひろ)さん。東京乾電池の方です。
有山さんが誠実に演じてくださる賢治と共に、毎日旅をしている気持ちです。

花巻に取材に行ったときに、賢治のお墓参りをして
賢治も好きだった「ぎんどろの樹」を見上げながら、心の中でひとりで誓った。
稽古を観ながら、その誓いの言葉を、そっと思い出します。

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たった四日間の公演なのですが、ぜひ観ていただきたいな。
これは、たぶん、あとから伝え聞いたのでは分からない種類の舞台になるのではないかと思います。
それはきっと、
これまでのてがみ座でいちばん「演劇」の力に充ちた舞台になるのではないか、ということ。

まだ、稽古は中盤戦に差し掛かるほんの少し手前。
でも今からなにか、予感がしています。

どうぞお早めにご予約くださいね。

************************

てがみ座 第7回公演
「青のはて ―銀河鉄道前奏曲(プレリュード)―」
11月30日(金)~12月3日(月)
吉祥寺シアター

************************

11月30日(金) 19:30
12月1日(土) 14:00/19:00
12月2日(日) 13:00/18:00★
12月3日(月) 14:00
★=アフタートーク実施(詳細未定)

前売 3,800円 当日 4,300円
[全席指定/ご予約順に見やすいお席から確保します!]

[ご予約]
URL:http://ticket.corich.jp/apply/39087/011/

作  長田育恵
演出 扇田拓也(ヒンドゥー五千回)

出演 尾崎宇内・福田温子・今泉舞・箱田暁史(以上てがみ座)
   有山尚宏(東京乾電池)
   原扶貴子(KAKUTA)
   森啓一郎(東京タンバリン)
   佐野陽一(サスペンデッズ)
   和田真季乃
   中村シユン
   岩瀬晶子(日穏-bion-)
   中村春介

「もしもこの道がほんとうでないなら いま、まっすぐに知らせてくれ」

1923年7月31日午後9時59分、花巻発。
琴座が天頂に輝くこの時刻、賢治は北へ向かう列車に乗り込んだ。
北海道から宗谷海峡を渡り樺太へ。樺太庁鉄道の最北端、栄浜へ。
それは、前年に亡くした妹トシの魂の行方をもとめる旅だった。

栄浜から白鳥湖を目指して、闇の中を歩き続ける賢治。
8月3日午後11時15分、盤面(ダイアル)は蒼じろく光り、
白鳥座が天頂に達する。
天と地の青がひとつに溶け合うその地点、
賢治は遙か銀河を見つめた――。

自らの生を捧げて「ほんたうの幸(さいわい)」を求め続けた賢治。
誰より純粋なその祈りは、厳しい寒さや烈風に晒されながら
いっそう強靱に磨かれ、
やがて後半生の10年をかけ『銀河鉄道の夜』を書き継がせていく。
永遠の未完成である物語は、
まだ果たされない一つの願い。
喪われた最果ての地を舞台に心の彷徨を描きだす。

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私の、てがみ座の、いま持てる力をすべて注いで創り上げます。
ほんとうにそれしかないなと思います。がんばります!

[ご予約]
URL:http://ticket.corich.jp/apply/39087/011/

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さあさあ、ミュージカルに戻ろう、今夜は。
明日までにちょっとなにか出さなくてはご迷惑を掛けてしまう。

明日もお昼から『青のはて』稽古です!!

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花巻に取材に行ったのは、まだ田植えが終わったばかりの時期だったんだよね。
水田に空が映るよ。私自身もなんだか長い旅をした気がする。
そしてまだ旅の途中。



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サハリンへの旅②(「青のはて」紀行):無事帰国しました [てがみ座「青のはて」]

ただいまです。
9月15日新千歳空港からサハリンに発って、本日帰ってきました。
行きたい場所へ、行き着くことが出来ました。

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たくさんのことを感じて……
それは行かなくてはわからなかったことばかりで、
どういう形で物語に昇華していくかはこれからが勝負なのですが、
でも、行けて良かった。
行って良かった。
胸がギュッと掴まれるような瞬間がたくさんありました。
日本、のことに思いを巡らせる時間だったのかもしれません。

今回のサハリンは樺太と呼ばれていたサハリンの南側を中心に日本統治時代の面影を巡る旅でした。

でも、言葉で書くと、どんどん遠くなっていってしまうような気がする。
感じてきたことは、ものすごく素朴なことの数々です。

どう考えたか、というのは今はまだ乗り換え途中の空港なので
防備録として、普通の旅行記を書きますね。

サハリンはツアー旅行というのはあまりなく
個人旅行で、オプションでツアーガイドをつける、というやり方が一般的なようです。
でも今回は、旅費を安くあげるために、とことんまでオプションを外しました。
結局ガイドをお願いしたのは1日のみ。
あとはすべて自力で回る、自力でどうにかする、というコンセプトの旅。

ユジノサハリンスクには両替所もないため、当座の現金として、
日本にいるうちに4泊5日分として3万円分(9,800ルーブル)を両替していきました。
ロシアはバウチャーシステムのため、ホテルの滞在費は既に払い込んであります。
なので、このお金の中にはホテル代は入っていません。
(でも結局はかなり余りました。6,500ルーブルくらいしか使わなかったかな)
ロシア語は分からず。行く前に「挨拶」と「ありがとう」だけ覚えていった、というレベル。
それでも、個々のコミュニケーション能力によるのかもしれないけれど
不都合は感じませんでした。
乗り換えや税関等は、表示が読めないと恐ろしいけれど、
(これは本当に読めないので、旅慣れている人のフィーリングや何かがなければ
そういう公共機関の表示は単語チェックしていった方がいいかもしれません)
そういう部分がガイドブックでクリアができれば、
街中は挨拶とジェスチャーと日本語混じりの英語でどうにかなった感じです。
たぶん「これひとつ」とか「これいくら?」とかは
シチュエーションとジェスチャーで何語で言ったって意味は通じるのだろうな。

サハリンに行ってみて率直に感じたのは、
素朴な温かさ。
そして、どこか懐かしい感じ。
のんびりとした人々。
日本の田舎の雰囲気と似ている。

石油のパイプライン開発でサハリン州が潤っていて、
仕事もそれなりにあり、生活がそこまできつくないのか
人々もどこかしらゆったりして、おだやかに生活しているようでした。
居る中で少しずつ、サハリンのいまが分かってきたように思います。

日本人に慣れているか、というと、そういうのは意外なほど全くないの。
旅行中日本人に会うこともほとんどなかったし
それもビジネス以外の目的の日本人、若手なんて街中では皆無。
(空港で農業研修の先生引率の学生グループがいましたが)
街でもホテルでも歩くだけで「日本人だ」と見られたりもした。
もっと日本人に対して耐性があるかと勝手に想像していたので
どうしてこうなのか分からなかったけれど居るうちに謎が解けました。

ちょうど滞在したときが、9月13日~15日まで、サハリン州全体で
「州成立65周年」を祝うフェスティバルをしていたんだ。
街頭のあちこちで、「65」を祝うペナントが貼られ
州立の建物や映画館の前庭なんかで、野外劇やコンサートライブが開催されていました。
その中で、このサハリン州を物語る歴史劇を野外で演じていたんだけれど
今、ここに生きて生活している人たちは、
日本やロシアが撤退したあとに移住してきた方たちが大多数を占めているようです。
ガイドの方に聞いたら、100種類以上の民族がこのサハリン州にいまいるとのこと。
「移民の島」だと言っていました。

サハリンというところは
ロシアにとっても「辺境の地」とされているくらい田舎というイメージのようです。
ロシアのひとは、サハリンは「トナカイに乗って生活していると思ってる」とのこと。
文字通り田舎というのもあるのだろうな。
ロシア本国よりも、おそらくのんびりしているのだろうと思う。
移民の島という通り、「郷土意識」というのが、このサハリン以外を指さないようです。
もしくは100種以上のそれぞれのルーツを。
だから一つの大きなナショナル意識というのとは全く違うようです。
そこが行ってみて初めて分かったこと。

野外劇でも、日本のことが語られるのだろうかと思っていたら
その戦争の歴史のブロックは詳細は全く語られていなかった。
「アイヌ人などの原住民の時代→ロシア流刑地時代(チェーホフが「サハリン島」のルポを執筆)
→長い戦争の時代を超えて→移民たちが来た今」

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という形で描かれていました。
だから日本への個人的な感情を持っているひとも、少ない。日本人に会ったことがある人も少ない。
もしかしたら日本が統治していた時代があることを知らないひともいるかもしれない。
「空いたところに移り住んできた、そして今がある」
今のサハリンの歴史というのは、本当に「州成立65周年」というように
65年前から始まっている、という人々の認識。そこから新しいサハリンを自分たちで創ってきた、
そういう自信や誇りからくる穏やかさ……というのかな。
過去の悲しみや痛みではなく、移民として移り住んできた自分たちが築いてきた暮らしを見る。
そんな落ち着きを感じました。

移民の島、それがサハリンの今。
本当に沢山の民族が歩いてる。アジア系も韓国人や朝鮮人や中国人……。
それでも、歩いていると「日本人だ」と特異な目で見られる。
日本人がそれほど珍しい場所になっているんだな、と感じました。

それでも、地層を見るように
街を見ると、そこここに歴史の地層、記憶の地層が見える。
日本統治時代の痕跡も。
それは、ユジノサハリンスクからホルムスク(旧真岡)やストラドゥプスコエ(旧栄浜)の方が色濃く感じます。
二つの街で旧王子製紙工場の工場も見てきました。

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新千歳空港からなんとフライト45分でユジノサハリンスクに着いてしまいました。
それでも時差は2時間。1時間の時差にサマータイムが足されて2時間です。
本当は宗谷海峡を渡るフェリールートを取りたかったのだけれど日程の都合でどうしても合わず
新千歳空港からユジノへ直接向かうルートを選択しました。

ユジノサハリンスクの空港。
空港は、旅行者だけではなく見送りでもただ用事がある人でもすべて入場に手に持つチェックがあります。
空港や飛行機、(それだけじゃなく電車や線路も)ロシアの法律で写真を撮ることを禁じられています。
今でも写真を撮ろうとすると、怒られました。
これは札幌の新千歳空港で撮った機体の写真です。
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空港前は、埃っぽいロータリーで、
バスもタクシー乗り場もよく分からず……。
案内板も出て居らず「適当」に車が散らばって停まっているといった感じです。

「TAXI」表示もなにもない車のロシア系のおじちゃんが「TAXI?」と近づいてきて、乗れよと。
いくら?と聞くと「500」と。
まあ、大丈夫そうな様子の方だったのでホテルまで頼みました。
あとで調べましたが相場的にはだいたい400ルーブルくらいのようです。
でもまあ、100ルーブル(=300円)ですのでね、このくらいは折り込み済みというか。
500で行ってもらいました。

ホテルは、「サハリン・サッポロ」でした。
これは立地がとにかくいいところ。レーニン広場のすぐ近くに面していて
旧豊原時代の目抜き通りの中央にあるようなホテルです。
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ほかにもガガーリン公園の近くにあるグレードの高いホテル等もありましたが
立地がいいというのはなんにしても本当に便利。
これから行く方には、自信を持ってこのホテルを勧めます。
中級の中では高めだけれど、部屋も広いし机もあるし、ベッドも広い。
日本語は通じないけど、スタッフの感じはいい。タオルもありましたよ!
スーパーも近くにあります。

ユジノサハリンスク(旧豊原)は日本時代に州都として栄え、
札幌の町並みをそのまま参照して縦横に区画整理して作られた町です。
戦争後も、道幅は少しは広くなったようですが、区画はそのまま。
だからレーニン広場を起点として縦横に区画が走っていて
しばらく歩いて居るとなんとなく土地勘がついてきます。
区画はそのままに、建物だけが替わっている、という街並。
これは日本で言うところの銀座にあたる地点で最も美しい通りですが、
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通りに面してない裏側は、
彩色はされておらず、壁も崩れているところが多いです。道もたいていぬかるんでいます。
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通りに面した建物の奧隣からは、こういうアパートが立ち並んでいます。
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写真と文章ではなかなか、ここが樺太だったことは伝えられないかもしれません。
それでも、この広い街路に大胆に張り巡らされた電線が、すごく心に残りました。
この電線を見たときに、ああ、この街は樺太だったんだ……と一番最初に強く強く感じた。
この景色が、私が樺太と「出会えた」瞬間のものです。

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じゃあ、乗り換えの時刻が近づいてきました。
詳細リポートはまた追って書いていきますね!

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サハリンへの旅①(「青のはて」取材紀行):まもなく出発  [てがみ座「青のはて」]

こんにちは!今日はいよいよてがみ座「青のはて」顔合わせです!!
新しく座組が生まれる最初の一歩、心の底からわくわくします。
さあ、楽しんで行ってこよう。今日から千秋楽までの道のり、舞台がハジマル。

そして、私個人としては、サハリンへの旅が目前に。
ビザが届いて一安心、ギリギリになってしまいましたが。
14日に北海道移動、15日にユジノサハリンスクへ発ちます。
19日に日本に帰ってくるよ。
荷造りまだ全く手を着けられていませんが……!

旅の名目は、このてがみ座「青のはて」取材のためですが
もはや来月には稽古もハジマルというのに、何を今行ってるんだ、
今行ってどうするよ的な声が自分の中で嵐のように吹き荒れてますが
他の仕事の関係だのなんだので、今ここになってしまって……。
でももちろん、岩手方面には初夏あたりにもうバッチリ取材に行ってます。

それから膨大な資料を片っ端から吸収していて机の前の時間も長かったので
結局は今で良かったのかなと思ってる。
もうなんの資料本も持たなくても、場所と結びつく内容は頭の中に入ってる。
あとはそれが、実際に「ほんとうのこと」として
どれだけ実感を持って自分の中に入ってくるかどうかだと思います。

本のスピードでいうと、もうけっこうドキドキバクバクしている時期で
水族館劇場の桃山邑さんや井上ひさしさんがちらちら頭を過ぎるけれど
そのたびにエイヤッと全力で頭の中から振り払います(笑)

さてさて、旅のこと。

本当は稚内まで行ってそこから宗谷海峡を渡るハートランドフェリールートを取りたかったのだけれど
出港日と時間の関係で今回は札幌から空路でそのままユジノサハリンスク入り。
札幌では、写真家の小畑雄嗣さんが教えてくださった、
サッポロ堂書店という古本屋に行くという自分ミッションつき。
運が良ければ旧樺太時代の地図とか現地出版の書籍が見られるかもしれません!

サハリンに着いてから北上したり南下したりして、戦前の日本領だったエリア、南樺太を辿ります。
ユジノサハリンスク(旧豊原)を拠点に、
主要な箇所としてはコルサコフ(旧大泊)、ホルムスク(旧真岡)、スタロドゥプスコエ(旧栄浜)へ。

ユジノサハリンスクはサハリンの州都、日本時代にも最も栄えた町です。
今の街並を作ったのも日本で、札幌に模した骨格の街並になっています。
ここは、アジア系の方々もたくさん在住していて、決して遠くはない過去がまだありありと息づいている。
人を見るだけで、歴史の地層がそのまま厳然と浮かび上がってくるような、そんな不思議な町だと思う。
チェーホフ記念文学館も行きたいけれど(ここには19世紀のサハリン流刑囚の生活用品なんかも展示されているそう)日曜日がどうも休みらしい。
ユジノサハリンスクに充てている日が日曜日という悲しさ……
ホテルはこの町に取っているので、帰国までにはチャンスを見つけて!
劇場もあるみたいです。どんな演劇をやっているのか見てみたいな。
ポスターが写真入りでなく文字だけだった場合、内容が全く検討がつきませんが……。

ユジノを拠点にかつての樺太庁鉄道に乗り込んで、スタロドゥプスコエへ北上。
いまは途中で線路も廃止になっているので、最後の目的地へは車に乗り換えます。
ここにある湖、「白鳥湖」が私の今回の旅のお目当てです。
ここに立ってみたい、それが叶えば、今回の旅の目的は果たせるんだと思う。

スタロドゥプスコエからの帰路は樺太庁鉄道を一気に南下、コルサコフへ向かいます。
車窓の鈴谷平原(これは今の名前でなんていうんだろう。まあとにかく樺太の背骨にあたる景色です)も楽しみの一つ。
コルサコフはサハリンの玄関口。大泊という港がかつてあって、稚内と樺太をつないでいました。日本時代の遺跡がたくさん残っている町です。

ここから、オホーツク海側から間宮海峡側(大陸側)に移動してホルムスクへ。
ホルムスクは終戦直後の1945年8月20日、真岡郵便局の電話交換手だった「逓信乙女」の悲しい出来事が今も印象深く伝えられる地。
ここには旧王子製紙工場の建物が今なお現存しています。この旧王子製紙工場の建物が目当てです。
大正6年に創業した工場が、いまは、ホルムスク製紙と名前を変えて稼働しているんだって。現存している工場はこれひとつ。場所がちゃんと分かるといいけどな。
大正当時は大手8社の製紙工場が稼働していた樺太、その面影に触れられたらな。

とまあ、ここまで行程を書きましたが、今回は旅費を極力抑えるために、
殆どのオプションをキャンセルして自力で回るという結構ワイルドな旅……!
サハリンに行くにはだいたいが、空港からの送迎も含めてだいたいがオプションをつけて手配していくようになってるのを、全部キャンセル。
それでも15万くらいかな。別途札幌への往復飛行機+札幌滞在一泊。
はたして路線バスでちゃんと目的地が聞き取れるのか?そもそも乗れるのか?
同行者は「私もウォッカくらいしか言えないよ?」と言ってらっしゃるけど
それは謙遜だと信じてるが、真実だったらどうしよう……(笑)

まあ、そうやって奮闘しながら土地と出会ってきてみます!
そうしないと分からないこともきっとあるでしょうから。
今回はまだ濾過しきれなくても、
いつか熟したときにきっと形になるだろうしね。

帰ったら本が修羅場突入&翌日午前中から舞台打ち合わせ!なので
元気で帰ってくることも大事。楽しんで行ってきます!


★ついしーん

いま、実は自分が脚本集中している時期なのであんまり宣伝に手が回らないのですが
先日書き下ろした『くれない坂の猫』がもうまもなく公演となります!!
わあ、稽古まだ行けてないよう。でも絶対いい舞台になると思いますので、
てがみ座の前にこちらも観にいらしてくださいませ!

チケットもご予約受付中ですので、
ticket★tegamiza.netまでご予約くださいー!!(★を@に変えてね)
①お名前
②お日にち、時間
③枚数
をご記入くださいね。当日、劇場受付にご準備し、前売扱いにてお取扱いたします!

まじんプロジェクト 第2回公演  『くれない坂の猫』

10月3日~8日
赤坂RED/THEATER
作 長田育恵(てがみ座)
演出 田中圭介
http://majin-project.p1.bindsite.jp/pc/index.html

てがみ座からは、福田温子&尾﨑宇内が出演します!!
そして、てがみ座ではもうお馴染みの和田真季乃もガンガン出演。
てがみ座とは全く違う作風?ですので、こちらもどうぞお楽しみに!!

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